宝島社の知恵袋BOOKS『マヤと古代文明 封印された真実』で「メソポタミア・インダス文明とスキタイの謎」のコーナーの執筆を担当しました。

 宝島社の知恵袋BOOKS『マヤと古代文明 封印された真実』で「メソポタミア・インダス文明とスキタイの謎」のコーナーの執筆を担当しました。

 メソポタミアの地では、農産物はしこたま獲れるけれども都市生活に必要な物品(用具、装飾品)造作のための原料、特に金属類(主に銅)は産出しません。金属類はもっぱら、アラビア海を海上ルートとして周辺数百~千数百キロ離れたアラビア海沿岸の他文明に頼んでいました。メソポタミアは周辺文明経済の一大消費地として機能していたわけです。他文明はメソポタミアから穀物類を輸入します。古代文明はそれぞれ別個にぼこっと存在していたわけではなくて、それぞれ交易ネットワークで連絡していて、必要なもの(欲しいもの)はどんな遠くへでも取りに行くのが古来、現在にいたるまで文明の性質のようです。

 最近の説で興味深いのはインダス文明についてのものかと思います。メソポタミアとインダスの間、イラン高原あたりにエラムという文明があり、その文明はもともとメソポタミアを相手にしていた交易文明でした。商売なのでエラムは当然、利ざやを大きくとります。メソポタミアはそこをコストカットするためにエラムに侵攻したりなどします。エラムはそれでいったん後退しますが、新たにトランスエラムという活動体をつくって交易を再開する。しかし、メソポタミア一辺倒の交易はリスクが高いので、エラムは自らの西方、インダス川流域に興っていた農耕社会地域に目をつけ、対貿易地域に育てるべく開発を始めた。それがどうやらインダス文明の起こりということらしい。インダス文明は先行文明による新規事業開発特区だったというわけです。

 教科書にはインダス文明は外来のアーリア人によって滅ぼされた、と書いてあることが多いわけですが、この説は現在、完全に否定されています。特に古代文明において顕著に語られますが「文明というものは必ず外来の征服者または抑圧されていた弱者層の反乱によって滅ぼされる」という闘争史観による文明交代の定説は昨今では大きく見直されていて、なかなかおもしろいようです。


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